9月10日まで開催されたバレーボールのワールドグランドチャンピオンズカップ2017(グラチャン)女子大会、日本は2勝3敗で残念ながら5位に終わりました。
木村沙織選手が引退、そして、中田久美監督体制となり、顔ぶれが大きく変わった女子代表メンバー。そんな中、新しい日本の司令塔、長身セッターとして輝きをはなったのが、冨永こよみ選手。元エースアタッカーの強みを生かし、ツーアタックを要所で決めていました。
私はテレビの前で、日本代表にしてはかなり高さのある(175cm)セッターだなぁと思って見ていました。なんでも最高到達点は305cm(バスケットボールのゴールの高さ)だそうです。女子なのにすごい。。。
そんな冨永こよみ選手ですが、実は今から約5年前の2012年、左足アキレス腱断裂を経験していたようです。全然知らなかった!(汗)
以下、冨永こよみ選手がアキレス腱断裂経験者ということを知ることになった記事の引用です。
中田監督「たぶん私より負けず嫌い」
全日本の中田久美監督は7月のワールドグランプリで、冨永を起用した理由を聞かれてこう答えた。
「修正能力が非常に高いし、あとは彼女の人間性。非常に落ち着いて見えるし、周りの選手に与える影響が、チームにとってプラスに働いている」
冨永自身も「28歳という年齢もそうですし、怪我(アキレス腱断裂)もあったし、いろんな経験を積んでいるので、プレー以外の部分でもお手本になるようにと言われています」と語っていた。
それと同時に、中田監督が「たぶん私より負けず嫌い」と言うほどの闘志を内に秘めている。
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引用元 : 人を動かし、時に自ら打つセッター。冨永こよみは司令塔に定着するか。 – バレーボール – Number Web – ナンバー
アキレス腱断裂から復活を果たしたアスリートと知ってはじっとしていられません!さっそく、冨永こよみ選手のことをネットで調べてみました。
冨永こよみ選手は1989年生まれの28歳。元々はエースアタッカーで、中学時代はオリンピック有望選手に選ばれ、名門・下北沢成徳高校ではアタッカーとして国際大会も経験。2007年の世界ジュニア大会ではベストスコアラー部門4位、ベストスパイカー部門では日本トップの8位と大活躍。
冨永こよみ選手がセッターに転向したのは2008年、パイオニアレッドウイングスに入団後のこと。大型セッターとして将来を嘱望され、2009年4月、全日本女子代表メンバーにセッターとして登録。同年のモントルーバレーマスターズで国際大会デビューし、ワールドグランドチャンピオンズカップにも出場を果たす。
十代のころから国際大会で活躍するほどすごい選手だったのですね。その後セッターに転向してわずか1年程度で、セッターとして日本代表入り。将来の日本代表を背負って立つ逸材とはまさにこのこと。
ところが2012年、Vプレミアリーグの試合中、冨永こよみ選手は左足のアキレス腱を断裂。23歳という若さでアキレス腱断裂に襲われ、長期の離脱を余儀なくされました。(治療方法は手術か保存かわかりませんでした。ご存知の方教えてくださいm(_ _)m)
しかし!
断裂からわずか1年足らずの翌年2013年の国体で復帰、そして、その大会で優勝!
アキレス腱断裂から復活を果たしました!
その後は所属チームの廃部で移籍などたくさん苦労があったようですが、着実に実績を積み上げ、2017年3月、8年ぶりに再び全日本メンバーに登録!
アキレス腱断裂から復活を果たし、日本代表に返り咲きました。
そして、今回のグラチャンで司令塔として大活躍・・・にいたったわけですね。いやぁ、テレビでプレーを見ていたけど、あの切れのあるツーアタック、まさか冨永選手がアキレス腱断裂経験者とは思えませんでした ^^;
2020年の東京オリンピックまであと3年。アキレス腱断裂をはじめ、これまでたくさんの試練を乗り越えてきた冨永選手の不屈の闘志が、日本に勝利をもたらしてくれると信じています。
冨永こよみ選手のさらなるご活躍を心から応援いたします。
アキレス腱断裂データベース、アキレス腱断裂の輪、アキレス腱断裂用装具ギャラリー にご協力くださいm(_ _)m
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