2013年10月3日、広島東洋カープの前田智徳選手(42歳)が、24年間のプロ野球人生に別れを告げました。
以下はニュース記事の引用です。
広島・前田智徳さん(42)「プロは結果がすべて。志は高かった」
広島ひと筋24年、通算7785打席目で現役に終止符を打った。
引退試合での八回2死、今季最多の観衆が見守るなか、希代の天才打者の最終打席は投ゴロ。九回には5年ぶり、新球場では初の右翼守備に就き何度もファウルを懸命に追った。「ゴロを打って走るのは避けたい。守備は不可能」と言ったはずが、どちらも結果は逆。「願うことがかなったことがない」と苦笑した。
平成2年、熊本工高からドラフト4位で広島入り。走攻守の三拍子がそろったプレーは名だたる選手らをも魅了した。
だが、人生は度重なるけがとの闘いだった。2度のアキレス腱(けん)断裂。ある年の暮れの夜、球団関係者が仕事納めの後に廿日市市の屋内総合練習場をのぞくと、真っ暗な中でひとりリハビリトレーニングに励んでいた。英美夫人は「オフも課題が多く、休みもリハビリや治療。でも、頑張る姿に家族も心打たれた」と振り返る。約20年間、患部に使ったテーピングの量は1日約10メートルにもおよぶ。
「24年間で野球をやっていない時間が多かった。ほとんどがリハビリとトレーニング。でも、やらないと結果は出ない」
けがと真剣に向き合い、練習に精魂傾けた姿勢は勲章をもたらした。19年に通算2千安打を達成。しかし、当時建設中だったマツダスタジアムを見て「オレがそこで野球しとったら失礼やろ」とも言った。それから6年。「故障だらけの人生でしたが、広島で、カープで、いちずに野球できたことを誇りに思う」。この日もバットを振れる状態でなかった。だが、穏やかな笑みを浮かべ静かに球場を去った。
引用元 : MSN産経ニュース
前田選手は1995年5月23日(23歳)、一塁への走塁時に右アキレス腱を断裂。
それまで4年連続ゴールデングラブ賞受賞、3年連続ベストナイン選出と、まさにプレイヤーとして絶頂を迎えていた時のアキレス腱断裂でした。
しかし手術後、リハビリを経て、翌年のシーズン開幕戦には選抜出場。
1996年から1999年まで、4年連続で打率3割以上・得点圏打率.340以上 (.368、.368、.358、.343) という、超人的な成績を記録。
見事にアキレス腱断裂から復活を果たしました。
ところが、今度は逆足のアキレス腱を痛めてしまい、2000年7月27日に、
左アキレス腱鞘滑膜除去手術
2度目のアキレス腱手術を受けました。
(引用記事では、「2度のアキレス腱断裂」 と書かれていますが、wikipediaによると、アキレス腱断裂の恐れがあるために手術を受けたと書かれています。)
それでも、2002年には123試合出場を果たし、打率.307、20本塁打の好成績を残します。
2度目のアキレス腱手術からも無事復活を果たしました。
⇒ あのアスリートも切っていた!? » バスケ以外のアスリート » 前田智徳(野球)
アキレス腱断裂から復帰直後(1996年頃)、「俺の野球人生は終わった」 と話した前田選手ですが、
成績から見れば、完全にアキレス腱断裂から復活を果たしたと言っても過言ではないと思います。
23歳という若さでアキレス腱断裂を経験した前田選手。
現役を引退した今、前田選手はアキレス腱断裂をどう振り返るのか。
「あのアキレス腱断裂が無ければ・・・」
それとも、
「あのアキレス腱断裂があったからこそ」
でしょうか。
いずれにしても、アキレス腱断裂後、18年間も現役を続け、見事な好成績を残したことは、揺るがない事実です。
これから第2の人生を歩まれる前田選手のますますのご活躍を心から願います。
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